2013년 5월 21일 화요일

국비 교환학생 선발 합격 : 그래, 다시 일본으로 간다.




이번 주 월요일부로 나는 국립 군산대학교와 일본 가고시마대학교의 단기 유학 학생 교환 협정 체결에 따른 2012년도 일본 파견 교환학생으로 선발되었다. 내가 되지 않을거라고 생각하지는 않았지만 이제야 내가 미래에 대해 생각하는 바나 내가 병역을 치르면서 헀던 고생이나 생각, 경험들이 드디어 뭔가 성취가 있었다고 생각하니 참 시원섭섭하게 홀가분한 기분이다. 

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私が4才の頃の事だった。お母さんは当時やっと文字を読むことができるになった私をために、未就学児童たちが楽しんで読ませた'科学のアルバム'(あかね書房)て言う本の韓国語翻訳版を買ってくれた。私はこれを夢中で耽読し始めた。特に私が関心を持った本は'火山は生きている'(青木章著:1977年)て言う本だったのに、それで私が韓国の火山について知る前に知った火山は鹿児島県桜島火山だった。もちろん私がもっと成長した後にはその火山が我が国じゃない、海の向うにある日本て言う国の火山だと分かるようになったが、ただ生きている火山があると、その理由で私は日本て言う国を憧れた。

そのまま15年ぐらい経った頃。相変わらず科学に関心が多かった私は生物学者になりたいと考えて海洋生物学科に進学した。そして軍服務を終わった頃に、憧れた日本に行きたいと考えた私は自転車に乗って韓国のソウルからブサンまで、そして港から船に乗って福岡にきて、また自転車に乗って九州の果ての鹿児島まで走った事がある。そして私がそっちから見た桜島火山の威容と太平洋が始まる海の青黒い波は、いつか必ずここで留学したいと、インスピレーションを刺激するに十分だった。

そしてまた一年が経った。学校に戻って日本に留学するために日本語と文化について勉強している最中、学校から鹿児島大学校に派遣する交換学生を先発すると言うお知らせを読めた。まだ経験も実力も不足だが私には日本語能力試験から持った日本語の能力もあるし、いつか留学経費に使うため貯めた金銭的余裕もあった。そうに私は鹿児島大学校の水産大学に支援した。子供の頃から憧れた国と私の未来について持った自信感を表出する瞬間だった。

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그래, 일본으로, 다시 유황과 화산재가 열정처럼 폭발하던 그 곳에 나는 간다. 

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